1月17日(土曜日)、阪神・淡路大震災から31年がたちました。この 地震 で、6434人が亡くなりました。 兵庫県 のいろいろなところで、亡くなった人のことを思うイベントがありました。地震が起こった午前5時46分、参加した人たちが黙禱(目を閉じて祈ること)をしました。
神戸市の東遊園地では、「1.17のつどい」がありました。約7000本の竹と紙で作った灯籠(あかり)を並べて「つむぐ」という文字などを書きました。「つむぐ」ということばに、地震で亡くなった人たちの思いを引き継いでいきたいという思いを込めました。
亡くなった人の家族の代表として、加古川市に住んでいる佐藤悦子さんが話をしました。「お母ちゃんへ、どこにおるん?(どこにいますか?)もう31年会えてないよ」
お母さんの正子さんは地震があったとき65歳でした。1人で暮らしていた神戸市須磨区のアパートは壊れて、火事で焼けました。何度もさがしましたが、正子さんは見つかりませんでした。
正子さんは、震災で亡くなった人の数には入っていません。行方不明(安全がわからない人)になった3人のうちの1人です。
2025年11月、神戸市が佐藤さんに「1.17のつどい」で話してほしいとお願いしました。阪神・淡路大震災から30年が過ぎました。小学生だった娘2人は結婚しました。孫も生まれました。長い時間がたったことで、「遺族にならざるをえない(お母さんは亡くなったと考えるしかない)」と思いました。佐藤さんは、話をすることにしました。
1月17日は「お母さんに会える日」
2011年に東日本大震災、2024年には能登半島地震が起きました。家族が亡くなったり、安全が分からなくなったりしている人が増えていることについて、悲しい気持ちです。
「震災は揺れがおさまったら、終わりじゃないよね? 家族を捜し続ける日々があり、今も大切な人に会いたいと思い続ける人がいること、知ってもらいたいよね」
佐藤さんにとって、1月17日は「お母さんに会える日」です。正子さんは見つかっていないため、お墓をつくっていません。お母さんの名前が書かれた板がある東遊園地が、お墓のかわりです。毎年、お母さんの写真を持って東遊園地にきています。
「お母ちゃんとの思い出を思い返すたび、当たり前に一緒に過ごせる時間の大切さを改めて知ったよ。お母ちゃん、ありがとう」いまも、どこかにいるはずのお母さんに話しました。
これはアルファサードが朝日新聞の記事をやさしい日本語に言い換えた記事です。